大人の言うことは話半分でいい--僕がたどり着いた「100点じゃなくていい」という生き方

大人が正解だった頃

子供の頃って、大人が言うことが正解で生きるじゃないですか。

まぁ教えてくれる一番身近な人が親だから、当然といえば当然なんですけど。僕にも両親はいて、いろいろなことを教わりました。信号は守れ、痰を吐くな、人に迷惑をかけるな。そういう「やってはいけないこと」を学んで育ちました。

- 何歳だったか忘れましたけど、ある時気づいたんです。親に教わった「やってはいけないこと」を、他の大人が平気でやっている。

信号無視する人、道端で痰を吐く人。「ああいう大人にはならないでおこう」と思いながら外の世界を見ていくと、今度は学校の先生から新しい「やってはいけないこと」を教わる。

んで、家に帰ると、親がそれを平気でやってるわけですよ。

怒鳴り散らす。土下座を強要する。

子供心に「あれ?」と思うようになります。学校で教わったことと、家で起きていることが違う。じゃあ、どっちが正しいのだろうか・・・? 小さい子供ながら悟るわけです。

大人が言うことは、すべてが正解ではない。

だから僕は、大人から学ぶことをいつも「話半分」で聞くようになります。100%信じるんじゃなくて、「この人はこう言っているけど、本当かな?」と一度立ち止まる癖がつくのです。

情報には「点数」がある

この「話半分で聞く」という姿勢は、大人になった今でも僕の中に残っています。というか、大人になってから、もっとはっきり言語化できるようになりました。

誰かが教えてくれる情報には「点数」がある。

例えばですよ。「ぱくたそって知ってる?」と僕が聞かれたら、100点の答えを出せます。運営してるのは僕ですから。いつ始めたのか、なぜ始めたのか、どういう仕組みで動いているのか、全部答えられます。でも、名前くらいしか知らない人に聞いたら「フリー素材のサイトだよ」で終わるわけです。

どちらも間違ってはいません。でも、情報の「完全度」が全然違います。前者は100点。後者は20点。

子供の頃の僕は、この違いに気づいていませんでした。大人が言うことは全部100点だと思っていた。でも実際は、大人だって知らないことは知らないし、20点の情報を「正解」として教えてくることがある。

ここが問題なんです。

20点の情報を、さも100点のように言う大人が多すぎる。

「俺の言うことを聞け」「大人の言うことは正しい」----そう言う人ほど、実は自分が何点の情報を持っているか自覚していない。もし当時、子供の僕に、大人がこう言ってくれていたらどうだったでしょう。

「ぱくたそ? 確か素材サイトだよ。でも私(大人)が知ってるのはこのくらいだから、20点くらいかな。残りの80点は自分で調べてみるといいよ」

こう言われていたら、僕は「じゃあ断片的な情報なんだ、調べてみよう」と思えたはず。でも当時はインターネットがなかった。調べる手段がなかった。だから、20点の情報を100点だと信じるしかなかった現状。かなしい。

AIという「200点の大人」が現れた

時代は変わりました。

今はインターネットがある。Google検索がある。そして、ChatGPTやClaudeのようなAIがある。AIは聞けば何でも答えてくれます。しかも、ただ答えるだけじゃなくて「これは確実な情報」「これは諸説ある」「これは私の推測」と、情報の信頼度まで教えてくれる。

つまり、自分が何点の情報を持っているか自覚しているし、それを正直に言ってくれる。

これって、僕が子供の頃に欲しかった「理想の大人」そのものなんですよ。知らないことを知ったふりしない。わからないことは「わからない」と言う。でも、知っていることは的確に教えてくれる。200点満点の回答を出してくれる。正直、親より優秀です。

これまでの僕は、疑問に思ったことを信頼できる仲間と壁打ちしてきました。「これってどう思う?」「この考え方、おかしくない?」そうやって議論できる相手がいた。でも、人間関係は変わっていきます。心折れて離れた人もいれば、家庭を持って疎遠になった人もいる。同じ熱量で一緒にやり続けるのは、年を重ねるほど難しくなる。

そんな中で、AIという「いつでも200点で返してくれる壁打ち相手」が現れた。これは本当にありがたいことで、感謝しかないという感じです。

「質問がわからない」時代

さて、ここからが本題なんですが。

AIが200点の答えを出してくれる時代になった。じゃあ、みんなが賢くなったかというと、そう単純な話でもない。

最近、僕が仕事をしていて気づいたことは、

「質問自体がわからない」という人が増えた。です。

今の時代、何も考えなくても楽しいコンテンツが向こうからやってきます。TikTokを開けば好みの動画が流れてくる。Amazonを見れば「あなたへのおすすめ」が並んでいる。Spotifyは勝手にプレイリストを作ってくれる。

無意識で好きなものが流れてきて、見ちゃう、買えちゃう、選ばれちゃう。何も考えなくても楽な世界。素晴らしき時代です。

でもね、この「何も考えなくていい」環境に慣れすぎると、ある能力が退化するんです。

「自分は何がわからないのか」を考える力。

2025年、世界中で1日に生成されるデータ量は約400エクサバイトと言われています。これ、人類が誕生してから2003年までに作られた全データ量を、たった2日で超える計算です。つまり、人間が処理できる量をはるかに超えた情報が、毎日毎日生まれ続けているわけです。

じゃあ、僕らはどうするか。取捨選択するしかないんですよ。

全部見てたら時間が足りない。だから、1秒で「いる・いらない」を判断して、次へ行く。TikTokのスワイプがまさにそれです。面白くなければ即スキップ。興味がなければ次へ、次へ。この「高速で取捨選択する能力」は、ある意味ですごい時代の進化であり、情報過多の時代を生き抜くために、人間が身につけた適応能力なんだと思います。

でも、副作用があります。

昔は、「ぱくたそって知ってる?」と聞かれたら、知らなければ「知らない、何それ?」と返す。そこから会話が始まって、情報を得ていく。

今は、「ぱくたそ」という単語を見た瞬間、脳内で「素材サイトね」と処理して終わる。興味を持つ前に、次の情報が流れてくる。1秒で判断、次へ、次へ。「わからない」と立ち止まる経験が、圧倒的に減った。情報が多すぎて、ひとつひとつに立ち止まっていたら処理が追いつかない。だから、脳が勝手に「これは知らなくていい」とスキップするようになった。効率化としては正しい。でも、その結果、「自分が何をわかっていないのか」を考える機会が消えていく。

だから、AIに質問しようとしても、何を聞けばいいかわからない。

100点の答えを出してくれる相手がいるのに、質問が0点だから、何も始まらない。

これ、個人的な感想なのでデータがあるわけじゃないです。でも、AIを仕事に使っていて「この人、自分が何に困っているかを言語化できていないな」と感じる場面は、確実に増えている気がしています。

歴史は繰り返す--そして、それが人間の魅力でもある

ここで少し視点を変えて、歴史の話をさせてください。

僕は学生時代に、日本史にハマっていた時期がありました。きっかけは「大人の言うことは本当なのか?」という疑問の延長線上にあった気がします。教科書に書いてあることは本当に史実なのか? 誰かの都合で書き換えられていないか? そんな疑念を持って歴史書を読んでいくと、面白いことに気づくんです。

歴史に刻まれた出来事は、身近な社会でも同じように起きている。

たとえば、誰でも知ってる本能寺の変。

織田信長は天下統一目前だった。でも、最も信頼していた家臣の一人、明智光秀に裏切られて命を落とす。なぜ光秀は裏切ったのか? 諸説あります。信長からの屈辱的な扱いに耐えられなかった説、朝廷を守るためだった説、黒幕がいた説......。

真相はわからない。でも、ひとつ確かなことがあります。

信長は、光秀のことを100点で理解しているつもりだった。でも実際は20点だったのかもしれない。

光秀が何を考え、何に苦しみ、何を望んでいたのか。信長にはそれが見えていなかった。あるいは、見ようとしなかった。これ、会社でもよく見る光景じゃないですか。

「あいつのことは俺がいちばんわかってる」と言う上司。でも部下は、ある日突然辞表を出す。「なぜだ?」と驚く上司。でも周りから見たら「そりゃそうでしょ」という状況だったりするやつです。あるあるです。

もうひとつ例を出すと、関ヶ原の戦いで、石田三成は敗れました。でも三成は、豊臣家のために命を懸けて戦った忠臣として語られることも多い。一方、勝った徳川家康は、タヌキ親父と呼ばれたりもする。狡猾に立ち回り、最終的に天下を取った。

三成の「正しさ」は、結果として豊臣家を滅亡に向かわせた。家康の「狡猾さ」は、260年続く平和な時代を作った。

「正しい」ことが、必ずしも「良い結果」を生むわけじゃない。

これも、会社組織でよく見る構造です。正論を振りかざす人がいる。言っていることは正しい。でも、周りがついてこない。結果、プロジェクトは失敗する。一方、うまく根回しをして、時には妥協もしながら進める人がいる。やり方は泥臭い。でも、結果としてプロジェクトは成功する。

どちらが「正解」なのかは、簡単には言えません。歴史を見ていると、こういう「割り切れなさ」がたくさん出てきます。

なぜあの人は、あんな判断をしてしまったのか? なぜ信頼していた人を裏切ったのか? 成功の裏には、どんな犠牲があったのか?教科書では「○○年に起きた」としか書かれていない出来事の裏に、無数の人間ドラマがあるわけです。

そして同じことが、僕らの身近な社会でも毎日起きているのです。会社で派閥争いが起きる。信頼していた上司が急に冷たくなる。プロジェクトが成功した裏で、誰かが割を食っている。規模は違えど、構造は同じです。

で、ここからが大事なんですけど。

僕はこの「非効率さ」こそが、人間の醍醐味だと思っているんです。

裏切りも、感情的な判断も、派閥争いも----AIから見たら、全部「非効率」でしょう。合理的に考えれば、もっとうまくやれるはず。でも人間は、そうしない。できない。なぜかというと、人間には感情があるから

損得だけで動けない。プライドがある。嫉妬がある。愛情がある。恐怖がある。恩義がある。意地がある。この「非効率極まりない無駄」が生み出す産物こそが、人間の魅力なんだと僕は感じています。

人それぞれ、何かしらの魅力を持っていて、仕事ができる人、できない人。賢い人、そうでもない人。優しい人、厳しい人。でも、どんな人にも「その人にしかない何か」がある。それを見出せた時の感動こそが、「人間おもしれぇ」になる瞬間なんです。

っというわけで、歴史から学ぶ考え方は最高です。過去の失敗を知れば、同じ轍を踏まずに済むかもしれない。

でも、情報が民主化した今の時代は、そう簡単じゃない。膨大な情報の中から何を選び、何を捨てるか。取捨選択の判断力とバランス感覚が求められる。その中で、人間の感情をどう扱うか--これが、現代の難しさで生き抜くキーになっていると感じています。

AIは200点の答えをくれる。でも、人間の感情までは最適化してくれない。だからこそ、「人間を理解すること」の価値は、むしろ上がっているんじゃないかと思うんです。

僕がやっているWeb周りの仕事

さて、僕がやってる仕事について軽く話すと。普段は、ぱくたその運営時々、プロのカメラマンとして活動中ですが、主業務は、Web周りのコンサルティングが生業です。企業のWebサイトやサービスの改善を手伝う仕事。業界だと20年くらいやってます。

この仕事をしていると、さっき話した「歴史で見たような構造」によく出会います。

たとえば、こんなケース。

「営業ばかりやらされているWebサービス担当」

本来はサービスの改善や運用をすべき人が、なぜか営業に駆り出されている。理由を聞くと「人が足りないから」。でも、その人がいなくなったサービスは放置され、どんどん劣化していく。本人は苦しんでいる。でも上は「あいつは営業もできるから」と思っている。信長と光秀の関係と同じ、本人のことを20点しかわかっていないのに、100点でわかっているつもりになっている例。

「DTPもやってます」と言いながらWebデザイナーを名乗る人

紙のデザイン(DTP)とWebのデザインは、似ているようで全然違う。でも、会社からは「デザインできるならWebもできるでしょ」と言われて、よくわからないまま担当させられている。本人も20点の知識で100点の仕事を求められて苦しんでいる。

手書きのラフで数百万の見積もりを出す人

Web制作の知識がないのに、外注先に「これ作れますか?」と手書きのラフを見せて見積もりを取る。仕様が曖昧だから、外注側も「まぁ作れますけど......」と高めの金額を出す。結果、無駄に高い費用がかかる


こういう状況、実はよくあります。

「それじゃ改善しましょう」というのが僕の仕事ではあるんですけども、じゃあ具体的に何をするかというと、「誰が何点の情報を持っているか」を整理するところから始まります。この人はWebのことを何点くらい理解しているか? この部署は何点の情報で動いているか? 経営層は何点の解像度で現場を見ているか?

それを把握した上で、「この部分は100点の人に任せましょう」「ここは20点でも回るように仕組み化しましょう」と設計していく。特に気をつけているのは、コアになる部分を止めないこと。会社にはそれぞれ「これだけは大事にしたい」という価値観や強みがある。それを無視して「最新のやり方に変えましょう」と言っても、うまくいかない。

だから、まずは「この会社は何を大切にしているのか」を理解する。その上で、コアな部分はそのままに、周辺の無駄を削っていく。やらなくていい最適化はしなくていいんです。全部を効率化する必要はない。ただ、ひとつ難しいことがあります。

最適化を提案して、実行した後に「やっぱり元に戻したい」と言われることも割とあります。なぜかというと、効率化された仕組みは「人間味」が減るから。たとえば、問い合わせ対応を自動化したら、お客さんから「冷たくなった」と言われる。作業を効率化したら、社員が「仕事のやりがいがなくなった」と言う。そこは結局、人が手を加えないとダメなケースも潜んでいるわけです。数字だけ見て最適化しても、人間の感情は最適化できない。

さっき「人間の非効率さが魅力」と書きましたが、仕事でも同じです。効率だけを追い求めると、大事なものが抜け落ちる。だから僕は、最適化した後の「再調整」も含めて仕事をしています。

ゲームと現実の違い--それでも過程を楽しむ

さて、ここまで長々と書いてきましたが、やりがいについてお話します。よく聞かれるんですよ。「やりたいこととか目標ってありますか?」って。正直、あんまりないんですよね。「お金持ちになりたい」とか「有名になりたい」とか、そういう目標を掲げて生きている人もいると思います。それはそれで素晴らしいことだと思う。

でも僕は違う。結果よりも、そこに至る過程が面白いかどうかで動いています。わかりやすい例を出しますね。ドラクエのようなRPGってありますよね。ゲームってなんで面白いかというと、「頑張ったら報われる」がはっきりしているからなんですよ。

モンスターを倒したら、お金がもらえる。経験値が入る。レベルが上がる。強い武器が買える。さらに強い敵を倒せるようになる。努力と報酬が、きれいに繋がっている。(中には、全く報われないマゾいゲームや、スカイリムのようなMODゲーといった違う趣向のゲームもありますが、それは別として。)

「これだけやったら、これだけ返ってくる」という成功体験が、ゲームの中では保証されている。だから楽しい。だから続けられる。

でもね、現実世界は違うんですよ。頑張っても報酬がもらえないことなんて、ザラにある。残業して企画書を仕上げたのに、「方向性が違う」と却下される。 誠実に対応したのに、クレームを受ける。 正しいことを言ったのに、煙たがられる。むしろ、頑張ったせいでダメージを負うことすらある。

目立ったから足を引っ張られる。 成果を出したから余計な仕事を押し付けられる。 本音を言ったから人間関係が壊れる。ゲームだったら、モンスターを倒したら必ず報酬がもらえる。でも現実は、モンスターを倒したのに逆にHPを削られて、ペナルティを受けた挙げ句にバッドエンドなんてこともあります。理不尽すぎる。

じゃあ、なぜ僕は続けられているのか・・・。

それは、過程そのものが面白いからです。報酬が保証されていなくても、「この仕組みを作ったら面白そう」「この問題を解決できたら気持ちいい(脳汁)」「この人たちと一緒に活動できる楽しい」----そういう感覚で動いていると、結果としてお金がついてくることもある。でも、それは副産物でありゴールじゃない。

歴史の話でも書きましたが、人間は感情で動く生き物です。合理的な「報酬」だけでは、モチベーションは続かない。でも、「この冒険、面白そうじゃない?」と思えたら、報酬がなくても続けられる。ゲームだって、目の前の困っている人を助けて、仲間と出会い、少しずつ強くなって--その積み重ねが、結果として魔王討伐につながった。

現実世界は、ゲームみたいに報酬が保証されていない。むしろ理不尽なことばかりですが、だからこそ、「過程を楽しむ」という姿勢が大事なんだと思うんです。報酬を期待して動くと、報酬がなかった時に心が折れる。でも、過程そのものを楽しんでいれば、結果がどうであれ、続けられる。

僕はそうやって生きてきたし、これからもそうありたいと思っています。

まとめ:20点でも正直に言える大人でいたい

子供の頃、大人の言うことは100点だと思っていました。

でも違った。大人だって20点の情報しか持っていないことがある。なのに、100点の顔をして教えてくる。それに気づいてから、僕は「話半分で聞く」ようになった。今はAIという200点の壁打ち相手がいる。でも、AIに質問するためには「自分が何をわかっていないか」を知っている必要がある。情報が溢れすぎた時代、それすら難しくなっている。歴史を見れば、同じことが繰り返されているのがわかる。信長と光秀のように、相手を理解しているつもりで理解していない。三成と家康のように、正しさと結果が一致しない。その非効率な人間ドラマこそが、人間の魅力でもある。

僕はWeb周りの仕事で、「誰が何点の情報を持っているか」を整理している。でも、全部を最適化する必要はない。人間味が必要な部分は、ちゃんと残す。そして、僕自身は「報酬」より「過程」を大事にして生きている。現実はゲームみたいに報われない。むしろダメージを負うこともある。でも、過程が面白ければ、続けられる。

この出来事なんて、もろに僕の性格が出ていると思います。→「理不尽な仕事の話

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僕がこの記事で伝えたかったのは、こういうことです。

100点じゃなくていい。

大人だって、全部を知っているわけじゃない。20点の情報しか持っていないこともある。

大事なのは、自分が何点なのかを自覚して、正直に言えること

冒頭でも書いたように「私もよくわからないから、20点くらいかも。残りは自分で調べてみて」

そう言える大人が増えたら、子供はもっと楽になる。組織ももっとうまく回る。そして、報酬がなくても過程を楽しめる人が増えたら、世の中はもう少し生きやすくなるんじゃないかと思っています。

僕はそういう大人でいたいし、この記事を読んでくれた人にも、そういう視点を持ってもらえたら嬉しいなと思っています。

最後に、すしぱくさんは、M&Aスタジオという会社とぱくたそのテクニカルディレクターのYuuさんと一緒にWebコンサルやってます。ご興味ある方は、気軽にリプしてね。

おわり ('A')