弟を亡くした時の話

元気です。すしぱくです。('A')ノ

自殺」という見出しのニュースが報じられるたびに、取り上げ方や反応が気になります。もう少し自重しろよと言いたくなる煽りメディアとか、クソみたいな内容で便乗してPVを稼ぐYoutuberとか・・・。何とかならないんですかねアレ・・・

速報性がある内容ですから、当然惹きつける見出しのインパクトが重要なのはわかります。僕も死亡のニュースを自殺から知るくらいですからね。

真相を知りたい欲求層への訴求を考えたら仕方がないのかもしれませんが、デリケートな話題だし配慮しておこうよと言いつつも最終的には死人に口なしの流れから、陰謀論みたいなのを綴りはじめるメディアの死体キック記事を見かけると悲しくなるわけです。

さて、LINEニュースで編集をやっている友人の純平さんが、


三浦春馬さんの訃報について「メディアやプラットフォームはどう伝えたのか」というまとめを掲載していました。

僕が知る限りこういったまとめを見かけたことがなかった(偏ったまとめはちょこちょこあった。例えば○○新聞はーこうみたいなやつ)ので大変ありがたい内容です。 純平さんのようなメディアに属す人がこれをまとめるのって勇気がいるのではと勝手に思っています。

今回、この「自殺」というテーマを記事にした理由はふたつあります。

1つ目は身近な人を自殺で亡くした僕が、冒頭で紹介した純平さんの記事をメディア関係者に読まれたらいいなーと紹介するのは不自然ではないかなということ。2つ目は僕のモットーでブログのタイトル「楽しければいいのです。」の根幹が自殺からはじまったことです。

身近な自殺と周りの反応について

僕は15歳の頃に実の弟を自殺で亡くしています

年子だったこともあり当時はよく喧嘩をしていました。また親が鬼のように厳しかったので一緒に耐えて泣いたり、ゲームを作って二人で遊んでいたのは今ではいい思い出です。

僕が高校に入学し近所のファミレスで厨房のアルバイトを始め、料理が作れるようになったので、弟に自慢気にオムレツを作ってあげたのが最後の会話でした。

朝、学校へ行く準備をし一緒に朝食をたべるはずの弟がいなかったことに違和感を感じ、すごく嫌な気持ちで通学したのを覚えています。案の定、学校から帰ったら親族が家に集まっていて、弟が近くの工場内で首を吊って亡くなっていたと知らされます。

遺書もなく、誰かに想いを告げた様子もなく、トラブルに巻き込まれたこともありませんでした。

一番身近にいた僕ですら、なぜ死んでしまったのか全くわからない・・・。だからなのか、霊安室で亡くなった顔を見ても、実感することができず、 むしろ、弟の同級生や部活の友人、従兄弟、親、みんなが涙して、別れを惜しんでいたのに、なぜ自分は悲しめないのかという気持ちの方が悲しくなったくらいです。

あの時、兄だから一番悲しいはずなのに悲しまなかった自分に「耐えなくてもいいんだよ」と言ってきた大人がいましたけど、そう言われる方がつらかったんですよね。

いつまでたっても実感がわかず、これは彼(弟)の生き方だったわけで寿命みたいなものと割り切っていたのかもしれません。

葬儀なども終えて日常生活に戻る頃、親は自殺した場所への謝罪や世間の目を気にして奔走し、弟が自殺したから兄も危ないのではないか?みたいなことを言われるようになり 「何か困ったことがあったらいつでも相談してくれ」系の人からの「頑張れ」の無責任な一言に違和感を覚えたり、自殺でなくなったことは親族や一部の親しい人しか知らないにも関わらず何故か知ってて話題に出されたり、「弟が亡くなったのっていじめとか?w」デリカシーのないネタ扱いにされたり、担任の教師がホームルームで僕の弟が自殺で亡くなったとかいい出すわ・・・。

なんだよまじでうるせーな、お前ら線香のひとつくらいあげにこいよ馬鹿とか思ったくらいにストレスになりました。今思えば若かったですが、野次馬な人は多くて小さな親切心ですら遺族を苦しめているんだよと思う日々でした。

楽しければいいのです。

弟の遺品を整理してた時ですかね。小学生の頃に一緒にプレイした「がんばれゴエモン」や「ファイナルファンタジー(5)」のソフトが出てきました。久々にスーパーファミコンを取り出しゲームを起動したらセーブデータが残っていて、僕がクリアした後に途中までプレイしていたデータや一緒に協力プレイしたときのデータがあって、もう一生このセーブデータを一緒にプレイすることはできないんだよなっと思った瞬間、弟がようやく亡くなってしまったんだと実感しました。

弟がなぜ自殺してしまったのかその理由は未だにわかりませんし知る気もないです。そこで人生が終わってしまった事実だけは確かです。生き続けていたら、つらいことも多かったかもしれないけど、それと同じくらい楽しいこともあったかもしれません。

一緒にプレイしたゲームをひとりで起動しながら、それならつらいことでも弟の分まで楽しく生きよう。ただただ楽しく、いつまでも楽しければいいのです。

そう思うようになってから、失敗しようがチャレンジできる喜び楽しいとか言っちゃたり、口の悪い親戚の叔父に「だから弟が自殺したんだ」と酔っ払って言われた時に、 「弟が自殺したという経験ができる人間などほとんどいないので、これまで気づけなかったことを弟が教えてくれたんです。叔父さんも同じ境遇になったらわかりますよ」って言ったらめちゃ怒られたんですが、嘘抜きでほんとにそんな感じです。

脱線しすぎてアレですが、僕がこれまで「ぱくたそ」というサービスを続けられてきた源もこれです。毅然とした態度で怖い印象あるとか言われますが、根はやさしさで溢れているので、みなさんも何かつらいことがあったり、挫けそうになったら「楽しければいいのです。」とか言って人生楽しむ方法を思い出してみてください。

というわけで、自殺関連で疲弊している人とかいたら気軽にご相談ください。
こちらからは以上です。